「社号標」について

皆さんは神社にお参りに行ったとき、鳥居の側に神社名を石柱などに彫られた大きな石を目にすることがあると思います。これを「社号標」と言います。
司有は、島根県出雲市の「出雲大社(いずもたいしゃ、正しくは、いずもおおやしろ)」、大分県宇佐市の「宇佐神宮(うさじんぐう)」、東京都大田区の「御嶽神社(おんたけじんじゃ)」など幾つかの社号標を揮毫しています。
現在は小さく書いたものを拡大して、大きな石に彫ることも簡単にできますが、司有は紙を何枚もつないで、実物大で書いていました。

 

作品解説テキスト版

「あなたが好きです」
1980年 制作
司有は、1974年に上野の森美術館で開催した「第2回中島司有書作展」でこの言葉を作品として発表しました。その時は、この言葉の左下に「これを書くため字を習う」と小さな添え書きがありました。その後、サイン会などで、この言葉を書いてほしいという若者に、色紙などに喜んで書いていました。1982年に銀座・和光ホールで開催した「第9回中島司有書作展」に訪れたさだまさしさんは、この作品にとても感動し、翌年「あなたが好きです」というタイトルの歌を発表しました。

 

「桃花源」 さだまさし 詞
1991年 制作
司有は、「さだまさしデビュー15周年記念コンサートプログラム」に「飛翔するシリウス星さださん讃歌」と題した1,000文字ほどの文章を寄稿しています。その中で、歌手・さだまさしさんを「現代の最高の詩人(うたびと)」と賞しています。司有は、この「桃花源」の他にも「邪馬臺」や「防人の詩」などさだまさしさんの楽曲の歌詞を幾つも作品にしています。また、1982年発売のさだまさしオリジナルアルバム「夢の轍」のジャケットタイトルも司有がデザインしたものです。

 

「愛」(蝋染)
1974年 制作。
ロウを溶かして布に書き、染色をしたろうけつ染めの作品です。
この染色は、特に染色を学んだ訳ではありませんが、司有の長女・方舟が担当しました。
ロウの温度や線を引く速さで、仕上がった後の色の濃い薄いが変わってきます。

 

「朱鷺衰滅を憂ふる報道に接して」 自詠 (紺絹本金泥)
1985年 制作。
金泥とは、金を粉末状にしてニカワをといた水と金を合わせたもののことです。
司有は金泥を用いて書いた楷書作品をたくさん残しています。金泥は金をすくいとるように筆にふくませて書くので、墨で書くのとは異なり、大変書きにくいのです。さらに漢字だけの作品に比べてひらがなは曲線や線の太い細いがあるので、より一層作品づくりに時間がかかります。季節や気温によって濃度調節をしながら書きあげていきます。十分に乾いてから磨くと鮮やかな金色の光沢が出ます。磨くための用具は一般にはイノシシの牙を使うのですが、司有の場合は一文字一文字が大きいので先端がメノウになった額縁の金を磨く為の専用の棒で磨いていました。

 

「法華寺」 自詠
1975年 制作。
司有はいろいろな町や史跡を訪ねて自分の感じたことや思い出を自分の歌として詠んでいます。
奈良の法華寺は大和三門跡に数えられる尼寺です。
藤原不比等の住居であったものを聖武天皇の皇后である光明皇后が総国分尼寺として建立しました。
この歌の中の光明子(こうみょうし)とは光明皇后の別称のことです。

 

「イラクバグダットにて」 自詠
1989年 制作。
司有は、50歳を過ぎて初めて海外に旅してからは、世界中の言葉に興味を持ちそれらの歴史遺産の地に赴くことが生涯の夢でありました。この作品は1989年にメソポタミアとイラクの史跡を見学した際に作られた歌です。

 

「伊馬春部歌」
1977年 制作。
1970年にアメリカで出版され、日本では1974年に新潮社より出版された「かもめのジョナサン」。
飛ぶという行為自体に価値を見出し、様々な工夫や研究をしたかもめのジョナサンのことを歌会始め・召人の伊馬春部先生が歌に詠まれました。司有は愛知県伊良湖岬を訪れた時、飛び交うカモメにジョナサンを見たのです。

 

「巖窟王」 (多泡ガラス)
1961年 制作。
今はもう作られなくなった多泡ガラスという素材を彫り込んで作られました。
当時、新宿区西落合にあった自宅の庭で制作されました。
建築資材のブロックくらいの大きさで、一文字は2つの多泡ガラスによって出来ています。素材はとてももろく、食事用のナイフで簡単に削っていました。
司有はこの頃から、平面だけの書芸術ではなく、表現したい内容に合わせて、書の立体化への挑戦を始めています。

 

 「司有の随筆より」
 司有は、自身の随筆集「書のこころ」の中にこう記しています。
「好奇心のもてるものなら、なんでも材料にする。その文字や文章、音、形のない概念、例えば恐怖などという感じ、その他何でも書作品にしたくなると、一番私が適切だと思う手法で表現してしまうのである。」

 

「林芙美子詩」 (発泡スチロール)
1973年頃 制作。
司有は、いろいろな素材を使い作品を制作しています。
これも発泡スチロールを素材として、林芙美子の有名な詩「花の命はみじかくて苦しきことのみ多かりき」を作品にしています。
司有は、作品制作時のコメントでこう述べています。
「書籍を注文したら、運送中、本をいためないように、この発砲スチロールが使われていた。感謝しつつ、さっそく利用する。」

 

「哭壁」 (陶版)
1981年 制作。
哭壁とは歴史遺跡で嘆きの壁とも訳されます。エルサレム神殿の城壁の一部が残ったものです。
司有はこの作品についてこのように述べています。
「阿部治良(あべ じろう)氏が焼き上げてくれた古瓦風の陶器を見つめているうちに、どうしても『哭壁』の文字を彫りこみたくなった。」と。

 

「小石」 高見順 詩 (石)
1974年 制作。
この作品の制作に関しては、司有はこのように述べています。
「急に海が見たくなって、1974年8月30日、千葉県上総一宮(かずさいちのみや)から、九十九里の片貝海岸に遊ぶ。海水浴客の途絶えた海辺の波打ち際に、ポツンとこの石がありました。この石を拾った時、高見順の詩が浮かんできました。」

 

原爆詩集より「序」 峠 三吉 詩 (水彩)
1973年 制作。
峠三吉は純粋な心と豊かな情操を持ちながら、広島の原子爆弾による後遺症で、36歳の若さで亡くなった詩人です。
この作品「序」は全25編よりなる「原爆詩集」の巻頭の詩です。そして広島平和公園に立つ「峠三吉の碑」にも刻まれています。

 

 

「中島司有の落款について」
落款(らっかん)は、落成款識(らくせいかんし)の略語です。
書画を作成した際に製作時や記名 識語(揮毫の場所、状況、動機など)、詩文などを書き付けたもの、またその行為を言います。
その文を款記といい、その時捺す印章を落款印と言います。
慣習上、署名として押捺された印影、または署名に代えて押捺した印影をさすことも多く、署名用の印そのものを落款と称することもあります。
中島司有の作品には、漢字で「司有」「壌治」「伸和」、ローマ字で「SIN」「KUN」「KUNTA」など幾通りもの落款があります。
「司有」は昭和11年、師匠の栄田有宏先生から初伝を許された書号です。
「壌治」は本名で、関東大震災の翌年に生まれたことで「土(壌)が治まるように」との願いからつけられた名前です。
「伸和」は、壌治の母が ひたすら丈夫に育つようにとの祈りから名付けた別名です。新しい傾向の作品には、この「伸和」を音読みにしてローマ字で「SINWA」や「SHIN」なども使っています。
他にローマ字で「KUN」「KUNTA」などがありますが、これは司有の家庭内でのニックネームなどです。
また、司有の作品の落款に押されている印は雅号の「司有」だけでなく「恒(こう)」という文字が使われた小さな印があります。これは保多孝三(やすだ こうぞう)先生により彫られた印で、司有の母の名前 「ツネ」に由来しています。

 

「阿修羅誕生」 心象・自詠 (キャンバスボード)
1973年 制作。
キャンバスボードに阿修羅のイメージを心象(しんしょう)として表現して書いたものと、司有が詠んだ短歌を一対にしました。
その後、阿修羅をモチーフにしてさらに長篇の歌がつくられ、大作「阿修羅讃歌」が生まれました。

 

「オランダの夢」 心象
1973年 制作
司有は、文字であらわすことのできない、感情・願い・思い出などを、心の象(ぞう)と書いて「心象(しんしょう)」と名付けました。
その中には筆を用いずキャンバスボードに直接水をたらして固形の墨をこすりつけるようにして書きあげたものもあります。
心象作品のほとんどにローマ字で「SIN(エスアイエヌ・しん)」のサインが使われています。

 

「フゴッペ洞画」 (水彩)
1973年 制作。
フゴッペとは北海道余市町にある続縄文時代の遺跡のことです。
司有は、作品制作時のコメントでこう述べています。
「砂岩の壁が日ごとに崩れ、彫りこまれた図象は薄れる。厳しい自然の温度変化と道路の震動とで、当時でもほとんど剥がれ落ちていた。古代の人が祈りをこめて残した遺跡に感動した。」

 

「ゴンドラの唄」 吉井 勇 詞 (木版に刻す)
1957年 制作。
この作品は木版に彫ったものです。
1957年3月2日、恩師であり義理の兄でもある栄田有宏(えいだ ゆうこう)先生の訃報を知った司有は、NHK松山放送局勤務のため東京まで出向くことができず、
「逢いたい人は生きていないという絶望感の中で彫刻刀を握りしめ完成させた。『いのち短し』の句が心にしみた。」
と家族に話していました。

 

「齊侯敦(さいこうとん)」 春秋時代金文 (埼玉県長瀞の石)
1976年 制作。
1962年、司有は東京都西落合から埼玉県朝霞市に引っ越しました。
埼玉県の名勝 長瀞に、その後何度か訪れています。
長瀞渓谷で採取した結晶片岩を用いて、中国春秋時代の金文「齊侯敦(さいこうとん)」を作りました。

 

「與謝野晶子歌」 (水彩)
1963年9月 制作。
与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に収録された「星の子」を水彩絵の具を用いて書いています。絵の具は水彩ですが、筆は墨で書く時と同じものを使用しています。

 

「雪」 三好達治 詩 (奉書紙)
1959年 制作。
司有がNHKの徳島放送局・松山放送局合わせて7年のアナウンサー生活から、東京に戻ってきた時の作品です。
奉書という紙を手でちぎって貼り、文字を作り上げていく手法で、作られた作品で、一見無造作に千切られた紙が、一文字一文字の線になっていきます。決して下書きなどしません。時には千切って落ちた小さな紙を拾い上げたかと思うと、それがひらがなの「む」の点になったりします。
司有の目には真白い奉書の紙に、三好達治の詩、雪が見えていたのです。

 

「天地創造」 (油彩・マチエール)
1972年 制作。
第一回中島司有書作展の出品作品。
F120号のキャンバスに天地創造の文字を白色でマチエールという画法を使ってもりあげ、そののちに油絵の具を使って色をつけています。
この作品以後、同じような手法で大作が作られるようになっていきます。

 

「竹千本」 草野心平 詩 (紙・コラージュ)
1959年 制作。
司有が四国から東京へ戻った夏、毎日書道展委嘱(現・会員)として出品した作品です。
竹の立体感を、紙の色を変えてハサミで切り、貼り合わせて表現されています。
当時は、書作品として疑問視されたと言います。しかし司有は、「この作品は好きだし、書の作品と信じている」と、述べています。

 

「竹千本のエピソード」
司有の下に集まった若者数人で、この作品なら複製が作れるのではないだろうかと、作品の上に型紙を置いてその通りに写し、ハサミで切って、司有の作品を見ながらそっくりに貼り合わせてみました。ところが、慎重に注意深く切り取り、貼り合わせたにも関わらず、出来上がった作品は、似ても似つかない陳腐なものでした。その時司有は笑いながら、「ハサミでも、筆でも、同じなんだよ。私はハサミでも線になる。つまり下書きのものを丁寧に切っても、そのたどたどしい切り口は線にならない。一回でスパッと切っていくからこそ、線になるのだよ。」と言った言葉に、皆一様にうなずきました。司有がコラージュ・染色・立体等、およそ書というジャンルを超えて作品制作に取り組んだのは、どんな手法を用いても、自分にしか出せない線が表現できるという絶対的な自信があったからだということがこの話から分かると思います。

 

「常不軽菩薩品」
1951年 制作。
写経用紙5枚に書き上げ「日展」に入選した、司有27歳の作品です。
妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十は、常不軽菩薩の菩薩行を通して、滅後の弘通の方軌と逆縁の功徳が説かれています。
字体は、この作品より前の時代と比べ縦長になってきており、のちの楷書の基本形がみられます。

 

詩集「白羊宮」より 薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)詩
1946年 制作。
この作品は司有22歳の書。
昭和21年「再建書道展」に巻物として出品し入賞したもので、のちに額に仕立て直したものです。
料紙に古いかたちの仮名を入れて書き、漢字の横には原文の通り朱色の墨でふりがなと句読点を入れてあります。
司有は後に、「戦火の中を生き残って展覧会に参加できることさえ不思議であった。」と感慨を込めて述べています。

 

「昭和天皇御製」 オリンピックに際して
1983年 制作。
天皇陛下がお詠みになった和歌を御製(ぎょせい)といいます。
司有は1967年より宮内庁文書専門員として陛下のお読みになるおことばや重要文書をお書きしてきました。その文字はこの作品のように一文字一文字が丁寧な楷書で書かれていました。
宮内庁文書専門員を決める際に、司有は筆で書いた履歴書を提出しました。のちに侍従から「『この文字なら間違いなく正しく読める』と陛下は申された」とお聞きし、宮内庁文書専門員を拝命することになりました。

 

 「筆の隠密」
 司有は、自身の随筆集「書のこころ」の中にこう記しています。
「私は両陛下の『筆の隠密』。正式の職名は宮内庁文書専門員。御書物はすべて楷書。当用漢字体を原則とするが、伝統による古体字の御書物もある。工夫を要するのは、文字の大きさ、空間のあけかた、朗読に適した文の切りかたや熟語などの配置。読まれる際の御便宜を常に念頭におくことは当然である。それでも御不自由がなかったかと心配で、両陛下の御言葉の放送は謹んで聴かせて頂く。無事に御言葉が終わられると、「よかった」と私は思う。」

 

「愛蓮説」 周茂叔 詩
1981年 制作。
中国宋代の周茂叔(しゅうもしゅく)の名作「愛蓮説」。
本紙とマットは共裂(ともぎれ)で周囲のマス目形(ますめがた)更紗(さらさ)模様は、鈴木 一(すずき はじめ)氏による染色です。布の中央部分にマス目の線を引き、書き間違いが許されない一枚限りの制作でした。

 

 

 

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