第43回日本書展
「内閣総理大臣奨励賞」


 

 

第43回日本書展の第一席「内閣総理大臣奨励賞」は、齋藤英媛さんが受賞されました。受賞後の感想などをうかがいました。受賞者の齋藤さんは、次年度から同人会員に推挙されます。

Q1 受賞の知らせを受けたときの感想は?

勤め先から自宅に戻ると、家にいた主人から、華やかな蘭のあしらわれた七宝焼きに包まれた電報を手渡されました。見た瞬間、これが話に聴いていた日本書展の通知の電報だとすぐにわかりました。
中を開けると「第一席と決定いたしました。おめでとうございます。」と印字された文章が真っ先に目に飛び込んできました。日本書展の受賞の知らせだと思ったものの、「第一席」と言う響きにとても驚き、家族に見せると、息子たちが「お母さんおめでとう。良かったね。」と一緒に喜んでくれました。
坂本司進先生にLINEで報告をすると、「おめでとう。よく頑張りました。」と返信がありました。
佐伯方舟先生にもお電話をしてお礼を申し上げると「今年は、内閣総理大臣が代わられる時期と重なったので、今は第一席としか表記できませんが、よく頑張って書きました。書ききることができたから、ご褒美がいただけましたね。おめでとう。」と労いとお祝いのお言葉をいただきました。
最後に、実家の母にも連絡をすると、電話の向こうで自分の事の様に喜んでくれて、胸がいっぱいになりました。

Q2 作品の題材とそれを選ばれた理由は?

張即之の『金剛般若波羅蜜経』を全臨しました。
以前に、この題材で書かれていた作品を見たときから、繊細な起筆と大きく抑揚する線に魅了され、書きたいと思っていました。数年前に偶然神田の古書店でこの題材の手本を運命的に見つけました。
いつの日か、全臨をして、この線質を身に付けたいと思っていましたが、5千数百字という文字数の多さのため、なかなか書く決心をつけられずにいました。
しかし、今年は、私が30年前に亡くなった父の年齢になったこと、お世話になった親戚の方々が逝去なさったこと、コロナ禍で大変な世の中であることなどがあり、亡き人、会えない人に思いを馳せながら真心と祈りをこめて書くことを決心しました。

Q3 作品を仕上げるうえで特に苦労された点は?

一つめは、題材の持つ魅力をどのように表現したらよいかという点です。張即之のもつメリハリのある線質をリズムよく書くのは難しく、練習では書いたものを見ながら表現できているだろうかと何度も自問し、試行錯誤しました。
二つめは、書くためにコンディションを整える必要があった点です。体調も墨の状態も天気と同じように、日々変わります。その中で、淀みなく同じ調子で作品を仕上げるための体調管理に苦心しました。基本的には、周りが静かで集中しやすい早朝に、1時間ほど時間を設け書くよう心がけました。加えて、できるだけ昼間と休日にたくさん書くようにしました。しかし、締め切りが迫ってくると夕方から夜にかけて書く必要があり、この時は、こまめに休憩をはさみ、手のマッサージをしながら書いていました。
三つめは、書くための時間を生み出すことです。今回の題材は5200字超の大作で、私は日々仕事をしており、書く時間は限られていました。加えて、途中で間違えてしまい、なおさら書く時間が限られてしまいました。あきらめかけ、本部に出品のご相談をしたときに、佐伯方舟先生から「中島司有先生と遠藤司英先生がそばについていてくださるから、書かせていただくという気持ちを忘れずに、毎日お祈りをしながら、書きなさい。」と激励していただきました。そうした中で、主人が家事をしてくれたり、息子が集中して制作できるように部屋を貸してくれたりすることで、どうにか書く時間を捻出し、仕上げることだけを考えて一心に書き続けました。なんとか、締め切りギリギリに書き上がった時には、仕上がったことへの達成感でいっぱいでした。
今回の作品は、この家族の協力がなければ仕上がりませんでした。改めて私の我儘を受け入れ、協力してくれた家族のありがたさを実感しました。

Q4 ところで、書を始められたのはいつですか?

小学校4年生の時からです。
それまで、学校の硬筆展などで入賞をしていたのですが、小学校3年生の時に書き初め展で金賞をとれなかったことがとても悔しくて、友達に紹介してもらい、近くにあった書道教室に通い始めました。弟も入会し、日曜日に自転車で一緒に通いました。
高校では書道部に入り、九成宮醴泉銘や雁塔聖教序などの条幅作品を始め、陶板を使った作品制作など今まで触れてこなかった書の世界を垣間見ることができました。
國学院大學栃木短期大學国文科に進学し、書道部に入り中島司有先生に出逢いました。幸運にも書道の授業も中島司有先生のクラスで、先生の授業は丁寧で柔らかい話しぶりでしたが、書くことへの姿勢は厳しく、取り組む課題も多くありました。今でもその時の作品は大切にしまってあります。部活では毎日展の作品作りのために合宿をし、先輩・友人たちと夜が明けるまで寝ずに書いた経験は、とても大変でしたが、今となっては楽しい思い出です。
司有先生の教えの中で「ただ教えられる側でいるのではなく、自ら学ぶ姿勢を見せなければならない」ということが今も教訓として胸に刻まれています。
卒業後は中学校の国語の教員として働き始め、書道部の顧問をした時期もありました。書道の授業や賞状の揮毫などで筆を執る機会も多くありました。しかしながら、教員の生活は想像以上に忙しく、腰を据えて書を学ぶ時間はあまりとれませんでした。しかし、これからの長い人生を考えた時に、一生かけて学べるものを持ちたいと思い、もう一度本格的に書道を学ぼうと考えました。そこで、忙しい生活の中でも地理的に通える教室を探し、遠藤司英先生、坂本司進先生ご夫妻が主宰されている書道教室で学び始めました。遠藤先生は、中島司有先生のおそばで大変忙しい時間を過ごされていたようでしたが、教室に見えた時は、書に限らず人生観や海外展の話など楽しいお話をいろいろとお聞かせくださいました。そして、手紙や封筒の書き方など心をこめた書の日常生活での活かし方も教えてくださいました。
先生の書かれる作品は、整然と並んだ一点の曇りのない楷書で「無為自然」という言葉が似あう、魔法がかかったような優しく清々しい作品でした。初めて日本書展に出品したときの作品は先生に罫線を引いていただきました。先生のお宅にお伺いしたのですが、全紙を取り出し、瞬く間に線を引かれていく様子は見ていて圧巻でした。初めての作品作りで、どのようにしたらよいか、何もわからなかった私でしたが、作品はこのように作るのだと身をもって教えてくださったとともに、作品制作に対する気迫を感じました。また、先生が楽しそうに作品を書いている姿を拝見して、先生の書かれる作品と書に対する姿勢は私の憧れとなりました。その後、書号「英媛」をいただき、もっと深く先生から学び続けなければと考えるようになりました。
しかし、平成10年に48歳の若さで先生がお亡くなりになり、先生から書の全てを学ぶ事は叶いませんでした。先生の教えの中で「細く、長く、楽しく学びなさい」という言葉は今でも心に残っており、私の書家人生の目標となっています。

Q5 書の魅力はどこにあると思いますか?

活字には見られない、その人の温かみや人間味が書にはあらわれ、想いを人に伝える力があると思います。
それは、中島司有先生の多くのお作品から私が感じたことです。文字や文章がもっている心をそれぞれの素材にあった技法で、紙だけではなく世の中にある様々なものを書材にして、多彩かつ五感で楽しめる数々の作品に、とても心惹かれました。先生がこの作品を通して、私たちに何を伝えようとしているのか、作品に対峙するたびに私は考えてしまいます。先生の作品には、技術の高さはもちろんのこと、言葉では言い表せない不思議な魅力を感じ、ずっと見ていられる力が詰まっています。何度観ても、その美しさと品格、鋭さとやさしさ、先生の作品を拝見する度に、背筋が伸びる思いでありながら、心洗われる気持ちになります。私にとっての書の魅力は「中島司有先生の書の世界」に詰まっています。
私も先生の文字に近づきたくて、日々精進して作品制作をしています。これからも人の心に何かを伝えられる作品を書けたらと願っています。

Q6 最後にこれからの抱負について一言お願いします。

この度は『内閣総理大臣奨励賞』という身に余る賞を賜り、誠にありがとうございます。また、同人推挙という名誉を賜り、佐伯司朗先生、方舟先生をはじめ現代書道研究所の先生方に深く感謝を申し上げます。
今日から自身を見つめ直し、基本から学び直すスタートラインに立ったと感じています。人の心を動かすような文字を書けるよう、精進の日々が始まったのだと自身に強く言い聞かせていきます。
そして、私の教室に通ってくださっている生徒達に教えることは、自分も一緒に成長していくことだと思っています。書への研鑽だけでなく人間性も含めて、中島司有先生、遠藤司英先生、坂本司進先生から学んだことを心の支えにし、生徒達と一緒に精進してまいりたいと思います。
また、子どものころから今日まで書道を習うことを応援し、それを後押ししてくれた両親・祖父母と、作品作りに没頭する時間を与えてくれた家族にあらためて感謝しています。
最後にここまで育てていただいた、現代書道研究所の皆様のお役に立てるよう、微力ながら頑張ってまいりたいと思います。温かくご指導くださる佐伯司朗先生、方舟先生をはじめ現代書道研究所の先生方にお礼を申し上げるとともに、今後ともご指導賜りますようお願い申し上げます。

 

齋藤 英媛 (サイトウ エイエン)

現代書道研究所 評議員
毎日書道展 近代詩文書部会友
日本書道美術院 教育部審査員
書道研究銀河会 加須花崎本部長

 

 

 

 

 

 


第43回日本書展
「文部科学大臣奨励賞」


 

第43回日本書展の第二席「文部科学大臣奨励賞」は、荒川暎輝さんが受賞されました。受賞後の感想などをうかがいました。受賞者の荒川さんは、次年度から同人会員に推挙されます。

Q1 受賞の知らせを受けたときの感想は?

9月17日金曜日午後7時過ぎ、自宅で高校生のお稽古をしていた時、七宝焼の電報が届きました。もしやと思い開けてみると、「第二席おめでとうございます」とありました。「あー良かった!」とひとり心の中で叫びました。長年お世話になった佐藤司暎先生や先生のお教室の皆様に、やっと嬉しい報告ができると思いました。
そして生徒達に話すと、「先生、すごい!」「おめでとうございます!」と一緒に喜んでくれました。お稽古終了後、夫や娘にも伝え、「良かったね。おめでとう!」と言ってもらうことができました。
佐伯先生ご夫妻のお宅にお電話をすると佐伯方舟先生が出てくださり、「おめでとう。今回の日本書展では、文部科学大臣が交代する時期と重なり、このような表記になりました。これからも頑張ってね。」と仰ってくださいました。佐伯司朗先生・方舟先生ご夫妻をはじめ審査員の先生方、現代書道研究所の皆様、教室の生徒達、そして家族に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

Q2 作品の題材とそれを選ばれた理由は?

『元永本古今和歌集』の仮名序、春上、春下を書きました。
2017年から挑戦し、書き続けてきました。今年は、最後の<下>二を書いて元永本の勉強は終わりにしようと思い、方舟先生にご相談しましたところ「冒頭の部分と見比べてみたら」とアドバイスを頂きました。改めて仮名序を見ると、<下>二とは異なる生き生きとした線の美しさに魅了されました。以前仮名序は途中までしか作品にしませんでした。以前は見えていなかった線の抑揚や流れの美しさに気付き、今回は全部書くことに決めました。

Q3 作品を仕上げるうえで特に苦労された点は?

作品の行間にある間の取り方と表現です。
元永本は帖仕立てなので、一つひとつのページは美しくても、横長の料紙に続けて書くと調和が崩れてしまいます。行頭、行末等を揃えるのはそれ程難しいことではありませんが、行間をどのようにとれば良いかは、料紙との兼ね合いもあり、下書きの段階で方舟先生が一行一行全部丁寧に見てくださり、ご指導・ご指摘くださいました。
もう一つは、作品を仕上げるための時間の確保です。出品される皆様が最もご苦労されることだと思います。私も20年余り毎年家族に助けてもらいました。夫や娘が食事を用意してくれたり、片付けてくれたり、お風呂を洗ってくれたり、本当に助かりました。
昨年はコロナ禍で頑張れなかった分、今年は頑張らなければと思っていた矢先、学生時代下宿させて貰っていた叔母が体調を崩しました。栃木の義父や両親も弱ってきました。叔母の2度の手術と通院の付添い、義父との別れ、寝たきりの父の見舞い、そして、自分の教室に、自治会役員など様々な事情であっという間に時間が過ぎていきました。今年も大きな作品は無理かなと思い、方舟先生に「仕上げられなかった時は・・・」とご相談しました。先生は、「できるところまで頑張りましょう、頑張ってみてそれから考えましょう。」とおっしゃってくださいました。
時間は遣り繰りするしかないと思い、少しまとまった時間ができると、筆を持つようにしました。それでも少ししか書けず、恐る恐る恵比寿教室に行きました。「ここはいいけど、ここはね、こうすれば。」「う−ん、穂先が利いてないよ。」「このペースで終わるの?」方舟先生には、ずっとご心配をおかけしてしまいました。そして温かく見守って頂きました。
お清書では、下書きに合わせて料紙の順番を決めましたが、書き進むと変えたいところも出てきました。白の料紙が多く、他の色の種類も少ないので、一箇所だけの交換では済まず、周辺の料紙も移動させなければなりません。本当に時間との闘いでした。書き直さなければと思うところが見つかり、提出前夜はほとんど寝ずに書き上げました。

Q4 ところで、書を始められたのはいつですか?

栃木市の近くに生まれ、小学校2年生の時に母が書道塾に連れていってくれました。おかげで書初め大会やその他の大会でも良い賞を頂きました。中学校3年生まで続けましたが、高校生のときは書道への興味が薄れており、筆は持ちませんでした。
國學院大學栃木短期大学に入学したのは、大学の史学科に編入できると友人が教えてくれたからでした。古い史料を読むことに役立つかなと思い書道部に入りました。そこで初めて中島司有先生にお会いしました。司有先生は、宮内庁文書専門員であり、國學院大學でも教えていらっしゃいました。書道部には多くの部員が集まっていました。部員の皆さんもとても熱心で、臨書も知らない私はちょっと場違いでしたが、先輩方も同級生達も、そして次の年の後輩達も優しく、楽しい時間を過ごし、正に青春でした。
その後、國學院大學文学部史学科に編入すると、特別に文学科の司有先生の授業も受けさせて頂きました。そして、司有先生の恵比寿教室や朝霞市のご自宅にも通いました。書道部で近代詩文書の面白さを感じ、続けたいと思いましたが、先生からは、「若いうちにしっかり仮名を勉強しなさい。書きたい古筆を探して来なさい。」と言われ、そして選んだのが、曼殊院古今和歌集、小島切、大字和漢朗詠集でした。
大学を卒業して中学校の社会科の教員になり、忙しさにかまけて書から離れてしまいました。結婚し長男の出産後、男の子と女の子の双子にも恵まれ、それを機に10年程で退職しました。小学生になった我が子に司有先生の文字を勉強させたいと思い、朝霞のご自宅にお願いに上がると、司有先生の奥様・中島裕豊先生が私の地元流山市の佐藤司暎先生をご紹介くださいました。我が子の送迎をしているうちに、私も佐藤先生のお教室に誘って頂き、お仲間に入れて頂きました。
佐藤先生は、鷹見芝香先生(鷹見泉石のご子孫の奥様で、日本書写技能検定協会の設立にご尽力され、協会の書検ニュースの題字も書かれています)の直弟子で、鷹見先生がお亡くなりになる前に、司有先生のところに行くようにと勧めてくださったそうです。
そして、佐藤先生の下で勉強を続け、現代書道研究所の師範試験にも挑戦し、合格しました。2001年から自分の書道教室を始め、地域の子供達を教えるようになりました。
佐藤先生がご高齢になり、私に佐伯方舟先生の恵比寿教室に通うことを勧めてくださいました。恵比寿教室では方舟先生に、書について様々なことを教えて頂いております。また、方舟先生とご一緒にお教室を支えていらっしゃる金田翠夢先生には、書のこと以外でも色々と教えて頂いております。

Q5 書の魅力はどこにあると思いますか?

私は、書を書くことよりも見ることが好きです。書は、活字にはない、生身の人間の思いや息づかいが感じられるところが魅力です。
司有先生のお作品の前に立つと、文字の美しさに感動するのは勿論のこと、先生がお元気だった頃の思い出や、どのようなお気持ちで書かれたのだろう?といろいろな思いが巡ります。そういう時間が大好きです。
以前、佐伯司朗先生から「書くことを楽しまないと」とご指導を受けました。書くことは、私にとってまだまだ苦しみです。でも、今回のようなことがあると喜びに変わります。これからは、見ることと共に書くことも楽しみに変えていけたらと思います。

Q6 最後にこれからの抱負について一言お願いします。

『文部科学大臣奨励賞』という名誉ある素晴らしい賞を受賞する機会に恵まれましたことは、身に余る光栄でありますと同時に、一つの節目を通過できたと安堵しております。
これも、学生時代にお会いできました中島司有先生、地元流山市で親子共々お世話になりました佐藤司暎先生、そして、現在、恵比寿教室で直接ご指導を賜っております佐伯方舟先生をはじめ現代書道研究所の先生方のおかげと存じます。心より厚く御礼申し上げます。
司有先生が上梓された『書の世界』というご著書に、先生は私の目の前でサインをしてくださり、「書の世界は無限です」と書いてくださいました。このご本は私の宝物です。先生のお仕事は正にその通りでした。もう一度先生のご著書を読み直して、原点に立ち返り、一つひとつ丁寧な仕事をしたいと思います。
佐伯司朗先生、方舟先生ご夫妻をはじめとする現代書道研究所の先生方にお導き頂きながら、現代書道研究所の益々の発展のため、微力ではありますが恩返しができますよう頑張りたいと思います。先生方の更なるご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。

 

荒川 暎輝 (アラカワ エイキ)

現代書道研究所 評議員
燕京書道交流協会 会員
書道研究銀河会 流山市西深井本部長