第42回日本書展
「内閣総理大臣奨励賞」


 

 

第42回日本書展の第一席「内閣総理大臣奨励賞」は、高橋豊媛さんが受賞されました。受賞後の感想などをうかがいました。受賞者の高橋さんは、次年度から同人会員に推挙されます。

Q1 受賞の知らせを受けたときの感想は?

4連休が明け、さらに秋の深まった9月23日の夕方、ちょうど夕飯の支度を始めた頃に、電報が届きました。それは華やかな七宝焼きの電報でした。鼓動が高鳴るのを感じながらも「落ち着いて、落ち着いて……」と心の中で唱えながらリビングへと向かいました。中学3年になる次男が自宅におりましたので、「お母さんの日本書展の審査結果が届いたの。一緒に見てくれる?」と声を掛け、一緒に封を開けました。
「内閣総理大臣奨励賞」という文字が目に飛び込んでくるとともに、鼓動の高鳴りは最高潮に達しました。驚きのあまり、声も出せずに電報を眺めること数秒、「え!これって……」という次男の声にようやく我に返り、受賞を実感すると同時に、感極まって思わず涙がこぼれました。母親が自分自身のことで、涙を流している姿を次男が見たのは初めてかもしれません。結果を確認するまでの緊張、そして確認してからの驚きと喜び、一部始終を見守ってくれた次男は「すごいね!おめでとう!」と言葉をかけてくれました。
気持ちが落ち着いたところで、すぐに直接ご指導いただいている古川司源先生・司邦先生にお電話をしました。お二人とも大変喜んでくださり、「本当に良かったですね。とても素晴らしい作品でした。これからも良い作品が書けますように応援しています。」と嬉しいお言葉をいただきました。また、総本部にもお礼のお電話をいたしました。佐伯方舟先生から「おめでとうございます。よく頑張ったわね、これからも頑張ってね。」と優しいお言葉をいただきました。
その後、夫と高校2年の長男が帰宅したので、それぞれ報告しました。我が家は私以外男3人ということで、言葉は少ないものの、私が数ヶ月間作品制作で努力していた過程を労い、ともに受賞を喜んでくれました。また、実家の両親にも電話で報告しました。驚きとともに、「本当におめでとう。好きなことを続け、それを認めていただけて本当に良かったね。」と喜びと祝福の言葉をかけてくれました。

Q2 作品の題材とそれを選ばれた理由は?

欧陽通の「道因法師碑」を全臨しました。
当初は全く別の題材を行書体の自運で書くことに挑戦しようと思い、昨年より準備を始め、勉強しておりました。今年になり、お清書を半分以上書き進めたところで、だんだんと自分の文字の癖のようなものが自分で見え始め、自分の書く文字に疑問が湧いてきました。このままこの作品を自分の文字で仕上げるには、現在の私には力不足なのではないかと思うと同時に筆が進まなくなり、このまま書き進めても消化不良の作品になってしまうのではないかと悩み、今年は無理だと結論づけました。
しかし、考えを一から改めなければならず、どうしてよいのか分からなくなりました。「残りの期間で納得のいく作品制作ができるのか、突然気持ちを切り替えることができるか、新たな気持ちで作品に向き合うことができるか……」混乱する気持ちを古川先生ご夫妻にお話しました。司源先生は「これからどうするか一緒に考えましょう。大丈夫、まだ時間はあるから。」と、司邦先生は「これまでやってきたことは決して無駄ではなく、全てはこのあと書く作品の力になるから、安心して新たなものに取り組みなさい。」と励ましてくださいました。
その後、お二人の先生方が一緒に題材の再検討をしてくださいました。幾つかの作品候補を薦めていただき、その中から以前書いてみたいと思ったことがあった「道因法師碑」を選びました。
これまで日本書展には、仮名・篆書・楷書・行書・隷書を勉強し出品してきましたが、この数か月間、自分の文字を書き込んでいたため、それを改め初心に戻りたいという気持ちと、もう一度自分をリセットするという意味もあり、再び楷書を出品しようと決めました。このようなことから、この「道因法師碑」こそが、今の自分に相応しいと考え、選定しました。

Q3 作品を仕上げるうえで特に苦労された点は?

今回一番苦労したのは「作品に向き合う気持ちを切り替え、コントロールすること」でした。「諦めることになった未完成の作品に対する未練」を捨て、「今まで出会ったことのない文字(字形)への挑戦」、更にどのように「新しい作品に向き合うエネルギー」へと昇華していくか、これが最も大変でした。
「道因法師碑」を書くにあたり、また一から構成の計算や字組み・レイアウト・試し書き・清書へと、作品制作におけるたくさんの過程をこなしていくにはすぐに始めなければ締め切りに間に合いません。取り組み始めれば気持ちがついてくると思っていましたが、そう簡単にはいきませんでした。1週間モヤモヤしながら進めていましたが、一向に進まない作品制作に苦しくなった私は、司源先生にお時間をいただき、自分の心の内を全て聞いていただきました。先生は私の話を最後までしっかりと聞いてくださり、私の複雑な気持ちを理解し共感して下さいました。また、「道因法師碑」の文字の特徴や、楷書でありながら、文字の中に隷書の筆意があり、力強さと迫力のある書体のなかに時々見受けるしなやかさ、これらを表現するための技術的なことなど、色々とお話をしていただきました。司源先生とお話することで、安心感が心に広がり、ずっと曇り空だった私の心は一気に晴れやかになりました。これを機に、本格的に作品制作に取り掛かれるようになりました。
お清書を書き始める頃には、すっかり気持ちを切り替えられた私には「書くこと」が心地よく感じられ、焦らず落ち着いて筆を運ぶことができました。
書く時間を毎日確保するため、早起きをし「母親業」を一気に済ませ、それ以降の時間と頭の中を自分だけのものにしました。特に、他のことを考えずに集中できる午前中の3〜4時間を書く時間に充てました。この期間は、例年ならば一生懸命で「大変」と感じるのに、なぜか今年は書く時間が楽しみで毎日に張りがあり、充実した楽しい日々を過ごせました。
おかげで締め切りよりも早く仕上げることができましたが、ここで最後の苦労がまた一つやってきます。作品提出の際、先生方と社中の先輩に全文のチェックをしていただいたところ、ミスが見つかり、三幅目を再度書き直しました。今度は、締め切りまでの時間との闘い、ここでの失敗は絶対にできないというプレッシャーの中での仕上げとなりました。

Q4 ところで、書を始められたのはいつですか?

4歳から当時住んでいた名古屋で書道を習い始めました。小学校2年生の夏、名古屋から朝霞市に引っ越したことを機に、すぐそばにあった「銀河書道教室」に妹と一緒に通い始めました。「お教室に入ったら入口で正座をして『先生こんにちは。皆さんこんにちは。』帰るときも正座をして『先生さようなら。皆さんさようなら。』とご挨拶しましょう」と教わったことを今でも覚えています。
お教室はとても楽しく「私の居場所」と感じられる場所でもありました。学校でクラスが違うお友達、学年の違うお友達、中学生のお兄さんやお姉さん、教育部師範として私たちのような児童や学生を指導してくださっていた先生方、といったたくさんの人に会えることも楽しみの一つでした。水曜と土曜は、学校から帰ると早めに教室に行き、お稽古が終わった後も夕飯の時間になるまでいつまでもお教室にいた記憶があります。
毎年、年度末には全員の先生方と生徒が集まり、提出した競書をまとめた「1年間の記録」とご褒美のお菓子を頂きました。中島司有先生から「1年間よく頑張りました。」と直接誉めていただけることがとても嬉しく、達成感につながりました。
しかし、高校時代に再び引っ越しをして、教室に通えなくなり、書道から離れてしまいました。
その後、進学・就職・結婚・育児を経て、次男が幼稚園に入園し自分の時間が少しできたことをきっかけに、また、次男も一緒にお習字を習わせたいという思いもあり、当時、通いやすさを優先し朝霞駅のそばにある古川司源・司邦先生のお教室を訪ねました。そして、古川先生ご夫妻にこれまでの事情についてお話し、総本部に確認を取っていただいたところ、古川先生にご指導いただくこと、更に、高校生のときに中島裕豊先生から頂いた雅号である「豊媛」の使用もあわせてお許しいただきました。
お教室に通い始めてからは、司源先生には漢字・近代詩文書を、司邦先生には仮名と実用書を教わりながら、日本書展・毎日書道展へと出品して参りました。古典を知り、臨書に取り組むことで、読めなかった仮名も読めるようになりました。各書展への出品のための作品制作の準備、近代詩文書の勉強など、子ども時代の「お習字」とは違い、全てが初めてのことでした。さらに現代書道研究所教育部師範・師範試験にも挑戦し、合格することができました。

Q5 書の魅力はどこにあると思いますか?

私にとって書の魅力とは、書くことで自分と向き合い、自身を癒やし、そのときの「私」を表現できることです。
文字はその瞬間の「私」を表します。嬉しいときは文字が伸びやかで動きも自然に出て、書いた文字が躍っているように感じます。つらいことや嫌なことがあったとき、悲しいときは弱々しく、書いた文字が泣いているような感じがします。怒りやイラつきのあるときなどは文字が安定せず雑で荒々しくなってしまい、まるで文字が怒っている様です。
様々な心配ごとや不安を持っているときに、作品を書くことでその不安と心配を紛らわすことがあります。自分の感情と向き合いながら書き進めていると、段々と心が落ち着き無心になる感覚が私にはあります。「書」によって癒やされていると強く思う瞬間です。
人にはそれぞれ好きなことや、得意なことがあり、脇目もふらずに没頭でき、努力も苦にならないことがあるでしょう。私にとって、それが「書」です。「筆を持ち書く」ということが、どんな内容であっても、また、困難な課題であっても、最後には何故か楽しく感じられます。
今年は、新型コロナウイルスの蔓延で、世界全体が生命の危機を感じる不安に飲み込まれました。日本でも緊急事態宣言が発令され、長期間にわたる自粛生活が続きました。不安な日々ではありましたが、私には一人でも取り組むことができる「書」があったおかげで、有意義に過ごすことができました。

Q6 最後にこれからの抱負について一言お願いします。

この度は、内閣総理大臣奨励賞という名誉ある賞を賜り、誠にありがとうございます。
これも偏に佐伯司朗先生・方舟先生をはじめ、現代書道研究所の諸先生方のお陰と心より御礼申し上げます。そしてなにより、現在の師である古川司源先生・司邦先生には、書道の技術だけでなく、心の面からも多くのご指導をいただき心より感謝しております。
今、やっとスタート地点に立てた気持ちでおります。幼少期から高校生までは、銀河会本部で「正しく心のこもった文字を書くこと」をご指導いただきました。その後、社会での様々な出来事に出会い20年のブランクを経て、この9年間で、古典の臨書を基礎に「書とはどういうものか、書の本髄」を古川先生ご夫妻からご指導いただいております。
「書」は、「美しい文字を書く」ということはもちろんですが、諸学の知識の学習・書の技法の習得・表現の方法・作品の表現と奥深く、まだまだ学ぶべきこと、学びたいことが多くあると実感しております。
近年は、日本書展でこのような三幅の作品を書いて参りましたが、現代書道研究所の同人会員の先生方はこの大作作品制作を経た上で、更に先生方それぞれに「自分らしさ」のある作品を発表されています。私も、先生方の様に今後も研鑽を積みながら、私らしさを創っていきたいと考えています。文字の動きや筆脈などから、見る人がその文字からさまざまな心を感じられるような文字、「生きた文字」を書けるようになりたいと思っています。
現在、古川先生のお教室で、講師として生徒の指導助手をさせて頂いておりますが、教員であった司源先生から教わることが大変多く、「一人ひとりにあった指導をする」ということの奥深さと楽しさを感じています。多くの子供たちにとって、書道教室が「居心地の良い場所」になるよう、また、情報に溢れた中で生活する現代の子供たちに「書」を通じて人の温かさに触れることを感じて欲しいと願っています。
幼いころ決して余裕のある生活ではなかった中で、書道教室に通わせてくれた両親、今も応援し続けてくれている妹、そして「お母さん」でありながら「一人の女性」として好きなことを続けることを尊重してくれている家族に、改めて感謝します。また、いつも応援し励まし心寄り添ってくれる多くの友人や大切な方々、本当にいつもありがとうございます。
最後になりましたが、これから現代書道研究所の一員として精進してまいりますので、佐伯司朗先生、方舟先生をはじめ現代書道研究所の先生方には、更なるご指導・ご鞭撻をお願いいたします。また、古川先生ご夫妻には、これからもご指導いただけますようお願い申し上げます。

 

高橋 豊媛 (タカハシ ホウエン)

現代書道研究所 幹事
朋心書会 師範

師 古川司源 古川司邦

 

 

 

 

 

 


第42回日本書展
「文部科学大臣奨励賞」


 

第42回日本書展の第二席「文部科学大臣奨励賞」は、齋藤寳統さんが受賞されました。受賞後の感想などをうかがいました。受賞者の齋藤さんは、次年度から同人会員に推挙されます。

Q1 受賞の知らせを受けたときの感想は?

9月23日の夕方、自宅で開いている書道教室の準備をしていると電報が届きました。美しい蘭の花があしらわれた七宝焼きの電報でした。それが日本書展の結果であることは想像に難くなかったのですが、緊張のあまり口が渇き、心臓はいつもより速く波打っていました。開いてみると、「文部科学大臣奨励賞」の文字が目に飛び込んできました。大きく深呼吸をしましたが、依然として鼓動は速いままです。ちょうど小学生2人がお稽古に来ましたので、電報を見せたところ、彼らにとってまだなじみのない「電報」に興味津々の様子で、それを見ていると心が落ち着いてきました。
すぐにご指導頂いている渡邉司寶先生にお電話を差し上げたところ、「おめでとう!良かったです。」と何度も言っていただけました。その日は鹿沼本部もお稽古の日で、受話器の向こうで皆さんが共に喜んでくださっているのが伝わってきて、とても嬉しかったです。その後、朝霞の現代書道研究所にお電話をし、お礼を申し上げました。お電話に出られた佐伯司朗先生から「おめでとう」と言っていただき、非常に感激しました。さらに、佐伯方舟先生より「あたたかい作品でした。頑張ってきて良かったね。」とお言葉をいただいたときは涙が溢れました。
我が家は現在、2人の子供たちが独立し、夫と80歳になる義母で暮らしております。主人は私の受賞を知るやいなや、お祝いに鰻とビールを買いに走ってくれ、その晩は3人で乾杯をしました。また、主人が私の受賞をこっそり子供たちに伝えてくれたようで、それぞれからお祝いの電話が掛かってきました。主人がこのような粋な計らいをしてくれたのは初めてのことで、非常に驚くとともに、受賞の重みを感じる一日となりました。

Q2 作品の題材とそれを選ばれた理由は?

『大乗阿毘達磨経』、通称『阿毘曇経』の一部、2,600字超を縦罫のみ引かれた紙三幅に臨書しました。
元来、時間をかけてコツコツと物事に取り組んでいくのが得意な方だったので、古典の臨書の際に1文字1文字コツコツと書いていくことでどんどん残りが少なくなっていく感覚を楽しみ、達成感を得ていました。以降、勉強を重ね、一昨年は張即之による5,000字超えの「金剛般若波羅密経」の臨書に挑戦しました。
翌年はどの題材にしようかと、司寶先生にお時間を頂き、一緒に検討をしていただきました。すると先生は、私がこれまでマスに入ったお経を得意として書いてきたことを踏まえ、あえて縦罫だけのお経に挑戦することで、勉強の範囲が広がり、さらなる書の上達に繋げることができるのではないかと考えてくださいました。そこで薦めていただいた題材が「阿毘曇経」です。私はせっかちな性格のためか、速く書いてしまうことが多いので、この題材をゆっくり書くことを意識することで、今度は1行を同じリズムで書くことができるのか心配になりました。しかし、初めて見たときに「私の好きな字体だ。」という印象を持っていましたので、この「好き」という気持ちが学びを広げることに前向きに働いてくれました。

Q3 作品を仕上げるうえで特に苦労された点は?

一つめは、作品制作に取り組む環境の整備です。
実は昨年は、体調不良で2か月間お稽古をお休みせざるをえず、そのため日本書展に出品することもかなわずに大変心苦しい思いをしました。そのため、今年は自分の体調を維持しながら作品制作に取り組めるように、制作環境をどのようにしたらよいかを最初に考え、実践していきました。
まず、一日あたりの制作時間に気を遣いました。コロナ禍で、自身の教室を安心安全に運営していくための準備にも時間を費やす必要があったので、自身が書く時間はもっぱら午前中に設定しました。次に、書くときの姿勢や照明の位置を考えました。三尺六尺の大きさの板を机にして、その脇に補助机を置き、ティッシュペーパーやゴミ箱、筆記用具や定規、心落ち着くBGMなども用意しました。
二つめは、縦罫のみの行に中心を揃えて書いていくことです。作品を書き出すと、各々の字の重心を見極めて、一本の筋が通ったように見えるように書くことに大変苦労しました。特に「智」や「者」のような字は、横画のスタートが左に長くのびる特徴があるので、重心をとるのが難しかったです。また、「田」や「日」など横線から縦線へと折れる部分がある字は中心からずれやすく、特にゆっくりと書くよう意識しました。時折、立ち上がり、左右に揺れていないか真上から見て確認しながら進めていきました。
三つめは、原本の雰囲気を壊さないことです。原本を拡大しているため、原寸大では気にならないような文字と文字の間、一つの文字内での空間が、どうしても目に留まるようになります。拡大したことで、バランスが崩れないよう気を付けて制作していきました。また、原本の雰囲気を維持するために、墨色を統一させることも意識しました。そのために、書く速さや分量、天気、特に湿度に気を配りながら書きました。

Q4 ところで、書を始められたのはいつですか?

私が書を始めたきっかけは、國學院大学栃木短期大学に進学し、書道部に入部したことです。
当時、國學院栃木短大の書道部の部員数は100人と大所帯でした。当初は活動日が週1日だけだと思い、気軽な気持ちで入部しました。ところが、実際に活動し始めると、毎日書道展や日本書展といった展覧会に出品したり、合宿では寝ずに朝まで書いたりする体育会系な部活であることがわかりました。しかし、「想像と違っていたから辞めよう」などと思うことは一度もありませんでした。書道を通じて出来た友人たちは皆それぞれ魅力的でした。当時、佐伯司朗先生に近代詩文書の参考手本を書いていただきました。それまでの人生で近代詩文書など目にしたことのなかった私が、友人たちと切磋琢磨し合って作品制作に取り組み、大きな下敷きを抱きかかえ、長くて重い文鎮が入った書道バッグを提げて通学するようになりました。大きな荷物を持って帰りのバスを待っているときに見た栃木の街の夜景がとても美しかったことを今でもよく覚えています。
書道部の顧問であった、中島司有先生と部活動でお会いする火曜日は緊張のあまり、敬語を使うことさえしどろもどろでした。というのも、短大1年次に司有先生の書道の授業を受講した際、第1回目の授業の教室が変更になったことを知らず、友人と遅れて入室してしまいました。
すると、司有先生は厳かな声で物静かに「あなたたちは、緊張しなくてはなりません。」と、私たちを一番前の席に座らせました。短大に進学したばかりでしたが、この日の出来事を境に、どの講義も緊張感を持って受けるようになりました。このようなことがあったので、司有先生の前では常に緊張をしていましたが、あのとき先生に諫めていただいたおかげで、本当の意味で「学生」になれたように思います。
 短大を卒業すると同時に、中学校の国語科の教員として働き始めました。短大時代の司有先生の教えと書道部での経験や出来事は、以後の自分の教員生活において大きな支えとなりました。しかし、教員生活は、想像以上に忙しく、自身の作品制作からは離れてしまいました。そんな時間の中でも職務上、各種賞状を揮毫するために筆を持つ機会は非常に多く、時間に追われて雑に書いてしまったときには、書道部時代を思い出し、司有先生に申し訳ないという思いを何度もしました。
今から20年前の平成12年4月、教員を退職して第2の人生を模索していた時期に上野の森美術館で現代書道研究所の選抜展があり、ふらっと見に出かけました。そのときに、佐伯方舟先生がお声がけくださり、自らの状況をお話したところ、「あなた、書道塾開きなさいよ!教員だったのだから。」と明るくおっしゃってくださいました。まるで闇の中に一筋の光が差したように感じるほど、迷っていた私の背中を押す大きなできごとでした。その時、ちょうど会場にいらした鹿沼本部の渡邉司寶先生をご紹介いただき、開塾を目標として、書道のお稽古に本格的に取り組み始めました。
まず、大筆で2文字、『銀河』の幼年課題や小学校低学年の課題をたくさん練習しました。司寶先生は、いつも優しく「いいですね〜。」「大丈夫ですよ〜。」「上手になりましたね〜。」という言葉をお稽古の度に、何回も何回も掛けてくださいました。大人になっても、やはり誉めていただけるのはとても嬉しく、まるで魔法にかかったかのように、楽しく学んでいけました。
司寶先生を始め、鹿沼本部でのご指導のおかげで、平成16年5月、無事に開塾することができました。お教室では、短大時代に司有先生から教えて頂いた「礼法」「挨拶」をきちんとすることを徹底しています。また、司有先生の学問的な教えの一つであった「うろ覚えの字があったら必ず辞書を3冊以上引く」ということも生徒に伝えています。

Q5 書の魅力はどこにあると思いますか?

私が書に魅せられているのは、「書」が墨の黒と紙の白だけの世界ではなく、無限の可能性を秘めているという点です。初めて司有先生の「天地創造」や「薔薇」を拝見したときに、これらの作品が大好きになりました。それまで自分が抱いていた「書」の世界観がぐっと広がり、目の前が開けたように感じたことは忘れられません。
また、習えば習っただけ、上達が目に見えることも魅力の1つです。大人から子供まで、誰もがめまぐるしく、多忙な現代社会の毎日の中で、「少なくともこれを書いた分の時間は自分のためだけに使えた」という証が目に見えることは非常に充実した体験です。どんなに習っても「まだまだ」と追求していける奥深さが「書」にはあると思います。今回の作品制作でも、それまで取り組んだことのない作品に挑戦することで自身の勉強の範囲を広げることがねらいの一つでありました。また、自身の運営する書道教室に通っている生徒を見ていても、書き上げた課題が合格になる達成感を得ながらも、それが次の課題追求への入口となっていることを実感しているようです。
合わせて、「書道」という表現がありますが、「道」がつくものには、そこに技術だけではなく人間性の向上を求められるということも魅力的です。今思えば短大時代に、司有先生が私の遅刻を諫めたとき、先生はすでに人間性の向上があってこそだということを教えてくださったのだとようやく考えを巡らせられるようになりました。

Q6 最後にこれからの抱負について一言お願いします。

この度、文部科学大臣奨励賞という素晴らしい賞をいただいたことは身に余る光栄であると同時に、とんでもない重責を感じております。今の自分があるのは、短大時代に出会えた中島司有先生、20年前にお声を掛けてくださった佐伯方舟先生、そして開塾を視野に入れたご指導および作品制作のご指導を頂いている渡邉司寶先生を始め鹿沼本部の皆様、また、現代書道研究所の諸先生方のおかげと思っております。
20年前に模索していた第2の人生。現在、書道教室を開かせていただいて、人に教えることはとても難しいということを実感する毎日です。子供たちとともに研鑽を積む日々を過ごすことはとても充実しています。
今後は同人会員として、言い訳のできない作品を求められている、と身の引き締まる思いです。生徒から憧れられるような先生になるため、今後もますます「書」の勉強にいそしんでまいりたいと存じます。
直接ご指導いただいている、渡邉司寶先生には、今日まで書の基本はもちろん、書道教室の開設への導きと指導方法、作品制作と公私両面からさまざまなご指導をいただき、言葉にならないぐらい感謝しております。今回の受賞を機に、これから更に厳しいご指導をお願いいたします。
最後になりましたが、これからは現代書道研究所のお役に立てるよう精進してまいりますので、佐伯司朗先生、方舟先生をはじめ、諸先生方には更なるご指導、ご鞭撻をお願いいたします。
この度は、誠にありがとうございました。

 

齋藤 寳統 (サイトウ ホウトウ)

現代書道研究所 評議員
毎日書道展 近代詩文書部会友
書道研究銀河会雀宮本部長

師 渡邉司寳