現代書道研究所
高野山研修旅行

三重県明和町〜賢島〜和歌山県高野山

平成16年7月17日〜19日

 平成16年7月17日から19日までの3日間、現代書道研究所では、佐伯司朗所長をはじめとする約50名の会員が参加して、研修旅行を実施しました。
今回の研修旅行は、一昨年お亡くなりになった中島司有先生のご供養のために、現書研会員ならびに中島司有門下生がこの2年間に書きあげた写経を高野山奥の院に奉納することを目的に企画されました。
ここに本ページで、研修旅行の様子を紹介させていただきます。

「一日目」7月17日(土)

 天気は晴れ、午前7時に41名の会員が新宿駅前に集合し、予定通り出発。首都高速・東名自動車道を使って、一路静岡県伊良湖岬へと向かいました。夏休み最初の三連休で東名高速に入るとすぐに渋滞。横浜・町田インターまで二時間もかかり、早くも行程変更を迫られる前兆となりました。
 今日は、三重県の伊勢神宮と斎宮歴史博物館を見学するために、静岡県の伊良湖岬から伊勢湾フェリーを使って鳥羽港へ入る予定でした。当初は12時45分発のフェリーに乗船するはずでしたが、伊良湖岬に到着したのが午後1時30分で、2時発のフェリーに乗船して三重県鳥羽港に入ったのは午後3時。結局、伊勢神宮への参拝をあきらめて明和町にある斎宮歴史博物館だけを見学することになりました。
 「斎宮歴史博物館」は、昭和45年から発掘調査がされた斎宮跡の一角に建てられています。
 「斎宮」とは、天皇が即位するたびに選ばれて伊勢神宮に仕えた斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と、彼女に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を指す言葉です。この斎王制度は、七世紀後半から660年間続きました。皆様も日頃お勉強なさっている西本願寺三十六人集中の「斎宮女御集」や「小島切」は、歴代の多くの斎王の中で歌に優れ三十六歌仙にも選ばれた微子女王の御歌を集めたものを示しています。館内では、斎王が都から伊勢を往復した旅(斎王群行)を再現した映像資料を見たり、発掘資料や斎宮の暮らしを再現した展示などを見学しました。当時の人々が斎王に託した精神世界の重さは測り難いものでしたし、古筆の書き手や歌の作り手にも思いを巡らせることの大切さを改めて知らされ、意義深い見学でした。

  

 斎宮跡をあとにして予定より約1時間遅れの午後6時にこの日の宿舎、賢島・ホテル宝生苑に入りました。宝生苑では、京都からご参加の川村正風先生が2時間前からお待ちになっておられ、笑顔で私たちを迎えてくださいました。
 夜7時からは、197畳敷きの大宴会場で佐伯司朗所長と川村正風先生を中心に楽しい宴のひとときとなりました。現書研芸能部長・小野寺瓊舟先生の進行でカラオケやゲームで盛り上がり、会員相互の親睦も深めることが出来ました。

  

「二日目」7月18日(日)

 二日目も天気は晴れ、高野山奥の院で中島司有先生の三回忌供養を行うため、宿舎を午前7時40分に出発し、一路高野山を目指しました。
 高野山は熊野や大峰吉野の地とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」に係わる重要な霊場として、今年の春「世界遺産」に登録されたばかりです。この日は正式発表後初めての連休ということで、和歌山県周辺は大変に混雑していました。昼過ぎには高野山に着く予定が山道の途中で大渋滞。ここでもまた、予定の変更かと気をもみながら、翼をつけて飛びたい心境でした。
 法要は、午後2時40分からの予定で、事前の手続きのために2時には高野山奥の院に着かなければならないのですが、12時の時点でまだ山の入り口にも到達できませんでした。そこで当日東京から列車で直接高野山入りしている数名の先生方に携帯電話で連絡をとり、手続きをすませて先に法要に出席していただくことになりました。山道の大渋滞を抜けて、バスが高野山奥の院入り口駐車場に着いたのは、2時40分。駐車場から奥の院灯籠堂までは、徒歩で20分。佐伯先生と事務局員は、奥の院の参道を全力疾走。バスを降りた会員全てが奥の院に着いたときには、既に法要は始まっていたのですが、なんとか全員が灯籠堂に入り、全員が御供養の御焼香をすることが出来ました。

 東京からお出でくださった飯田智照師をはじめ、杉山・岩永・大橋先生、角さん親子、関西の栗林さんご夫妻らと無事合流した後は、特別灯籠堂に場所を移し、飯田智照師のご紹介で高野山大学の日野西真定師のご法話をいただきました。お大師様に今も一日に2回お食事をさし上げているというお話に、信じ抜く力の大きさと1200年の歴史の重さがずっしりと感じられました。
 灯籠堂を出て私たちは、高野山真言宗社務所総務部企画室高野山書道協会の上東昭夫さんの案内で、高野山書道協会物故者供養塔をお参りし、高野槙とお線香をあげさせていただきました。昨年、中島司有先生のお名前もこの供養塔の中に納められました、改めて先生をしのびつ合掌いたしました。供養塔をお参りしたときには、武将や著名人の墓所が並ぶ参道は、すっかり夕方になり、ひぐらしの声を聞きながら二日目の宿舎に入りました。

  

 二日目の宿舎は、高野山の宿坊・遍照尊院です。山の上には、ホテルや旅館は無く、53ヵ所の宿坊があります。私たちの宿泊した遍照尊院は、弘法大師が修行された聖跡で、内八葉の一つ遍照ヶ峰の遍照ヶ岡に本院を建立されたもので、本尊・両界大日如来を安置する由緒ある寺院です。
 夕食は、精進料理のフルコースに般若湯と麦般若をいただきながら前夜とは違った静かな一時を過ごしました。夕食後、飯田智照師のご法話をいただきました。曼陀羅や写経のお話など、わかり易く穏やかな語り口で、私たちの質問にも丁寧にお答えくださいました。特に、植物学者の「南方マンダラ」のお話が印象に残りました。

  

「三日目」7月19日(月・祝)

 三日目の朝は、午前6時から遍照尊院本堂での「朝の御勤め」に全員参加。読経中、それぞれの願いを護摩木に書きご本尊にお供えして焚き上げていただきました。ご住職さまの法話のあと、本堂地下にある四国八十八札所の分土をお参りいたしました。声明と香のたちこめる雰囲気に心が鎮まり、静かなパワーが、身体にあふれてくるようでした。
 今日は、午前9時半から今回の研修旅行の最大の目的である「写経納経式」が金剛峯寺で行われます。宿舎を8時20分に出て、まず「霊宝館」で弘法大師筆「聾瞽指帰」や「運慶作・八大童子立像」・「血曼陀羅」などの国宝を見学してから、高野山真言宗総本山金剛峯寺に入りました。

  

 金剛峯寺は、弘法大師・空海が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祗経にもとづいて名づけられた高野山の総称です。現在は奥の院弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600ヶ寺、信徒1千万の総本山です。
 現代書道研究所では、平成14年7月15日にお亡くなりになられた中島司有先生のご供養にと176名の会員・門下生が般若心経一巻ずつを書き、それを事務局でお預かりしていました。今回、特製の桐箱に収めて高野山奥の院に奉納するため、高野山書道協会のお取り計らいにより、金剛峯寺本堂大広間において、納経式が行われることになりました。高野山法会部長・高岡隆州師をはじめとする高野山関係者のご出席をいただき、佐伯司朗所長と中島家ご家族、そして研修旅行に参加の会員約五十名が見守る中、厳粛な式が行われました。
 最初に参列者全員で般若心経を唱え、佐伯所長が高岡法会部長に桐箱に入った写経百七十六巻をお渡ししました。そして、現代書道研究所と中島司有門下一同宛に高岡法会部長より感謝状が贈られ、佐伯司朗所長と佐伯方舟理事長がそれぞれ受け取られました。高岡師と佐伯先生のご挨拶の後、参列者がご焼香をさせていただき、無事納経式を終えました。司有先生への思いをこめた写経をお納めして、ほっと安堵し、清々しい気持ちを心にいっぱい抱えて、金剛峯寺をあとにしました。

  

 念願の納経式を終えた私たちは、川村正風先生・飯田智照師ほか数名の先生方と金剛峯寺前の駐車場で別れ、一路東京を目指しました。昼前に高野山を出て、連休の最終日による渋滞にあいながら、一般道を使い大阪へ。大阪からは名神・東名の高速道経由でひた走り新宿駅前へ着いたのは、午後十一時過ぎでした。バスの長旅にもかかわらず、全員無事に帰京することが出来、三日間の研修旅行は終了しました。
 今回の写経奉納に際しては、飯田智照師ほか、高野山書道協会、高野山東京別院など、多くの関係者にお世話いただきました。無事高野山奥の院に納経が出来ましたことに感謝するとともに厚く御礼申し上げます。
 また、般若心経をお書きいただいた会員と中島司有門下の皆様には、無事納経いたしましたことを、紙面を通じてご報告申し上げます。写経をお預かりした皆さんには、後日高野山から納経についての葉書が届くと思いますのでお受け取りください。また、今回研修旅行に参加された皆さんには、ハードスケジュールの旅で大変だったと思いますが、中島司有先生のご供養の旅として意義深く、なにより深く心に残る三日間だったのではないかと思います。きっと司有先生も皆さんと一緒に高野山に参られていたに違いありません。お喜びのことと思います。お疲れ様でした。
 中島裕豊先生をはじめとする中島家の皆様と佐伯司朗先生・方舟先生・事務局の先生方には、研修旅行の計画・準備から当日のお世話とご苦労さまでした。ありがとうございました。
 ご生前、晴れ男だった中島司有先生のご供養の旅にふさわしく、三日間、天気にも恵まれ厳粛の中にも楽しい研修旅行となりました。きっと、中島司有先生が私たちのそばで見守ってくださっていたおかげだと思います。
 最後に中島司有先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

合掌
(松藤司曄 記)